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コミュ障がまともに会話できない“根本的な理由”とは?

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今回はコミュ障(コミュ症と書くことも)に関する話です。

人と仲良くなるのが苦手で悩んでる方に是非読んで欲しいですね。

 

 

 

コミュ障って何?

 

ネットで「コミュ障」と検索してみると「人とコミュニケーションをとるのが苦手な人」と出てきます。

でも実際「コミュ障」って、大きく分けて2種類の人がいると思うんですね。

 

  1. 基本無口で、話すときも相手の目を見ずボソボソと喋る「話すの苦手系」
  2. よく喋るけど相手の気持ちが理解できず、空気が読めない「空気読むの苦手系」

 

どちらも生きていく上でかなり困難を伴うと思うんですが、僕はどちらかと言うと2の「空気読むの苦手系」の人の方がより深刻だと思ってます。

 

彼らは「コミュニケーションの楽しさが理解できなくて、自分の言いたい事ばかり言ってしまう人」なんですよ。

どういう事か?例をあげてみましょう。

「空気読むの苦手系」の例

 

例えば仕事の休み時間に会社の同僚と話している時に、同僚がこんな事を言ったとします。

 

「日本のサラリーマンって大きな地震の直後でも休まず出社するじゃん?あれっておかしいよね〜。欧米だったら絶対その日は休みになるよ。

 

普通だったらこの場合「そうだよね〜。日本人は真面目すぎるんだよ」とかそんな返事を返しますよね。

でもコミュ障は違います。

 

欧米って何ですか?僕いつも思うんですけどね、アメリカとヨーロッパをひとまとめにして語るのはおかしいと思うんですよ。」

 

こんな返しをしてしまいます。

コミュ障が理解できない“ある事”

 

もちろんコミュ障の彼が言ってる事は正論です。個性豊かなヨーロッパの国々とアメリカを「欧米」の二文字でまとめるのは確かに無理があります。
もしかしたらその“欧米”の中に含まれる国々の中に、大地震が起きても出社を強要する国があるかもしれません。

 

でも彼はもっと重要なことを分かってないんです。同僚は今そんな話をしてるんじゃないんですよ!

 

欧米という言葉を使った同僚は実際、外国の細かい事情なんてどうでもいいし、もう何なら日本のサラリーマンの話自体どうだっていいんです。

ただ休憩時間に他愛もない世間話をしてるだけ。

 

言い方を変えれば「コミュニケーションを楽しんでるだけ」なんですね。犬がじゃれあってるのと似たようなもんです。

これがコミュ障には理解できないんです。なぜ理解できないのか?頭に問題があるんでしょうか?

理解できないのには理由がある

 

いや、そうじゃないです。頭がおかしいわけじゃない。

医学の世界には「自閉症」という言葉もあるんですが、僕は彼らを「コミュニケーションの仕方も理解できない、頭に問題を抱えた人」だとは思わないんですね。

 

彼らはただ「生まれつきコミュニケーションをあまり必要としてない人種」っていうだけなんです。

 

 

コミュ障は自分で自分を楽しませる天才

 

よくウサギは放っておくと寂しすぎて死んじゃうっていいますよね。コミュ障はそれの逆なんです。
彼らはほとんど人と話さなくても、自分の世界で、延々と自分を楽しませ続ける能力を持ってるんですよ。

 

世間ではそれを「根暗」とか「オタク」とか呼びます。でも彼らにしたら一人で趣味に没頭することは全然おかしいことではないんです。

むしろ相手がいないと楽しめないという事の方が「不便」だとすら感じます。

 

彼らは生まれつきそんな“便利”な脳みそを持って生まれてきてるんですね。だからコミュニケーション能力が必要ない。

必要ないから発達しない。ただそれだけなんです。

コミュ力が高い人は“コミュ力が必要な人”

 

逆にウサギの様に“コミュニケーションが不足すると死んじゃう”系の人たちは、小さい頃から必死にコミュ力を磨こうします。


「どういう風に接すればもっと仲間が増やせるだろう?」「そうかこういう言い方をすると相手はこんな気持ちになるんだな」

日々そんな事を無意識に考えながら、コミュ力をぐんぐん伸ばしていく。

 

コミュ障の子はそれをしません。

だって最悪友達がいなくても楽しめるんですから。その結果、コミュニケーション方法をちゃんと習得しないまま大人になってしまう。

 

でもよく考えてください。必要ない能力を必死で伸ばそうとしないのは当然の事だと思いませんか?それ自体は何もおかしい事じゃないと思うんですよ。

コミュ障の人がぶち当たる大きな壁

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ただし彼らが自分の世界を維持するには避けて通れない関門があります。「仕事」です。

コミュニケーションは不要でも、お金は必要ですからね。

 

学生の頃は「仲のいい子同士でグループを作ってください〜」って先生が言ったらドキッとしたり、クラスを牛耳るリア充グループにちょっとバカにされるぐらいで済んだかもしれません。

 

学生のうちは「同じコミュ障とつるむ」という裏技も使えます。それで何とかぼっち回避もできる。

 

でも「仕事」は違います。ちゃんと周りの人とコミュニケーションを取れないと問題が起こるんです。

職場の人に嫌われて冷たい態度を取られたり、毎日怒られて地獄のような日々を送っているコミュ障の人はたくさんいるでしょう。

 

そしていつしか会社に行かなくなり、部屋からも出なくなってしまう・・。

コミュ障の悲しき宿命

 

コミュ障の人たちは社会に出ると、「コミュ力を必要としない脳みそ」「コミュ力を必要とする社会」の板挟みになって生きていく事を余儀なくされるんですね。

僕もどちらかと言うと一人で楽しめる側の人間なんで、その苦しさは分かります。人付き合いのハードルが高すぎる。

 

今回のこの記事は、そんな社会でボッコボコにされて自己嫌悪に陥っているコミュ障の人たちにエールを送りたいと思って書きました。

 

僕がコミュ障の人に言いたいこと

 

繰り返しになる部分もありますが、コミュ障の皆さんに僕が忘れないで欲しいと思うことを書いていきます。

 

まずコミュ障は「人との会話の仕方も分からない頭がおかしい人」ではありません。本能的にコミュニケーションを必要としない人種だから、コミュ力が発達しないだけなんです。

必要なのに習得できないなら一種の病気かもしれませんが、本能的に必要としてない以上、コミュ力が発達しないのは当然のことです。たとえ社会的に必要だったとしても。

 

「根暗」とか「ぼっち」という概念は、相手がいないと寂しくて死んじゃう“不便な人達”の価値観から生み出されたもので、一人で楽しめるコミュ障には関係ありません。

 

一人で延々と趣味を楽しめるのってすごく便利な能力だと思いませんか?

相手がいらないという事は、休みの日は朝起きた瞬間から夜寝る直前まで、ずっと楽しんでいられるって事ですよね。

 

逆にコミュ力高い人にはそんな事はできません。一日の中には必ず一人になる瞬間があります。友達だっていつも会ってくれるとは限りません。

そんな時彼らは“寂しさ”というものを感じます。不便ですよね。

自己嫌悪に陥るのは時間のムダ

 

だから自分がコミュ障だからって思い悩んだり、自己嫌悪に陥る必要はありません。

せっかく好きなことを延々と楽しめる「脳みそ」と「時間」を親から与えられたのに、休みの日を鬱な気持ちで過ごすなんて勿体無いです。

 

思い悩むんではなくて、どうすれば普通にコミュ力がある人達とスムーズに会話ができるかを考えてみてください。

この“スムーズ”というのが大事です。自分が何を言いたいかではなくて、何をどういう言い方でいえば会話がスムーズに進むだろうか?を考えてみて下さい。

国際交流のつもりで接してみる

 

コミュ力が高い人たちの薄〜い内容のトークは聞いててイライラするかもしれません。でも彼らにとってコミュニケーションは呼吸のようなもので、なくてはならないものなんです。

国際交流のつもりで、薄〜い内容のトークに薄〜い内容で返してみて下さい。新しい世界が見えてきますよ。

 

※ちなみに「ウサギは寂しいと死んじゃう」は迷信だそうです。

 

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